最初は姓名判断のサイトを参考にしてました
最初は姓名判断のサイトをたくさん見ていました。なぜ、最初に姓名判断のサイトを参考にしたんだろうなーと理由を思い返してみました。
ネットで簡単に調べられる
「姓名判断」で検索するとものすごくたくさんのサイトが出てきます。姓と名を入力するだけで画数からどんな人生になるかを判断してくれます。
すごく手軽にできるので、ついつい思いついた名前を入れてしまいます。「ふーん、こんな運命になるんだ」とえらく感心したりもしました。
取っ掛かりがほしい
子供の名前を決めるなんて、人生で何度もありません。慣れていなことをする時は、参考になるものがほしいところです。いわゆる取っ掛かりです。姓名判断のサイトはこの取っ掛かりにちょうどいいわけです。
思いついたものを入れると「吉」とか「凶」とか出たり、相性のいい姓が表示されたりと、命名について何の手段も知らない人間にとっては、候補の名前が絞れるので便利と言えば便利なわけです。
子どもには幸せになって欲しい
これが一番大きな理由だと思うのですが、子どもには幸せになってほしいというのが親の願いだと思います。画数によって「吉」とか「凶」が出るのはわかりやすく、吉が多い名前がなんとなく良さそうな気がします。
僕が姓名判断のサイトを見ていた理由としても、将来は結局はわからないわけなので、せめて画数は悪くないようにしようという親心があったのかもしれません。
姓名判断に頼るのをやめた理由
でも、結局は姓名判断サイトを見るのはやめました。
そもそもただのプログラムだ
色々な名前を入力していた時は楽しかったのですが、ふと、「これってただのプログラムが入力された文字に対して文字を返しているだけじゃん」を我に返りました。
幾つかのサイトは同じプログラムを使っているようで、同じ結果が返されることもありました。同じ名前を入れてもサイトによって違う結果が出たりすることもあります。
で、そもそもただのプログラムに名前を決めてもらうっていうのは意味ないんじゃないかと思い至ったのです。
画数で運命は決まらない
僕は、画数では運命は決まらないと思います。注がれた愛情だったり、一緒にいた人の影響だったり、努力した結果で運命は決まってくると思います。そしたら、姓名判断に頼った名付けはうちの子には必要ないという結論に達しました。
そこからは姓名判断のサイトを見るのはやめました。
姓名判断に頼らない名前の付け方
名付けのルール
名付けのためのルールをまずは決めました。
読めること
キラキラネームという名のDQNネームはやめようと思いました。読めること。ペットみたいな名前じゃないこと。大人になっても、老人になっても恥ずかしい名前じゃないこと。これは絶対に守ろうと決めました。
自分の周りの子ども達には、読めない名前の子どもがたくさんいます。だから否定はしないし、それはそれでいいと思うんだけど、そんな名前が増えてきたから、逆にちゃんと読める名前がいいなと思っています。
漢字二文字で、訓読み+訓読み みたいな感じがいいなーと。
例えば、夏(なつ)彦(ひこ)とか。
名字との相性
名字との相性も大事にしようと思いました。音に出してみて、違和感がないように。これは、個人の感覚なので、何がどうってわけではないのですが、自分で音に出してみて、変じゃない名前にしようと思いました。
知り合いと被らない
知り合いと一緒はちょっとダメです。その人のことが大好きみたいになっちゃうんで。
最後は名前はこうやって決めた
好きな字を入れた
まずは好きな字を入れようと思いました。僕がうちの子どもに付けた名前に使った字は、奥さんとの共通の趣味に関する字です。
好きな人の名前を取った
もう一文字を組み合わせて、僕が歴史上の好きな人物と同じ名前にしました。期せずして、祖父の名前と同じ文字をいただくことになりました。僕は祖父が好きだったので、結果として一文字もらうことになりました。
思いを込めた
歴史上の人物から名前をいただきましたが、その人は、莫大な時間を掛け、努力して、大変なことを成し遂げた人です。スケールも大きい人です。
自分の子どもも、努力をおしまず、進み続けて、何かを成し遂げてほしいという思いを込めました。
決まってから姓名判断をしてみた
名前が決まってから、姓名判断のサイトに入れてみました。
結果は「吉凶混合」。
いいじゃないですか、運命は自分で切り開くものなんだから。どうなるかわからないから面白い。